(9)続・父兄懇談会《9月―頭の痛い季節》 ~2003年9月の記録 ∬第9話 続・父兄懇談会 体育の時間に関しての質問が続いた。 幼稚園といえばお遊戯が付きもの。娘も覚えて帰ったお遊戯や歌を私の前で披露してくれることはあったが、身体をもっと積極的に動かす運動、例えば跳躍、登り降り、ボールの扱いなどの基本的な運動は、園のプログラムの中には組み込まれていないようだった。それに相当する外遊びの時間や遊具が備わっていれば心配はしないのだが、外遊びすら1週間に1度あるかないか。 そこで、このような体育の時間は設けていないのか、またいつ始まるのかを私は尋ねたかった。 「そう、それも説明するつもりでした。保育時間中にバレエの時間を組み込もうかと考えています」 ええっ?バレエ? 尋ねた意図と違う方向へ話が流れていき、ガックリ。 「L音楽教室で週3時間、月に160ミリオンで教えているのですが、話し合いで我が園には80ミリオンで教えてくれると言っています」 L音楽教室というのは、値上げがきっかけとなって先日上の娘のレッスンを辞めたばかりの、例の音楽教室のこと。 「衣装を着替えて鏡の前に立つと、子供たちはとても活動的になるんですよ」 昨年も同様の試みを行ったのだが、園からL音楽教室に連れて行って習わせた子供は、見違えるように上達して驚いたこと。ぜひ今年もやりたいと、園長自らが乗り気な態度を見せていた。 私は複雑な心境でその話を聞いていた。別料金でバレエ。それが体育の代わりになるのだろうか・・・。他の父兄から何の異議も出ないところをみると、好意的に考えているのだろうか・・・。 バレエ自体は決して否定しないが、保育料とは別に80ミリオンはあんまりではなかろうか・・・。 私は、上の娘の学校で昨年行った試みについて話した。 「上の娘の学校でも昨年バレエの時間があったのですが、週に3回先生が教えに来てくれて、月40ミリオン払いました。80ミリオンはちょっと高いと思います」 「場所はどうしたんですか?」 「教室です」 そう、教室だ。でもバレエを本格的に習いたいのなら、教室に個々人が習いに行けばいいこと。園の教育の一環として、身体を動かすことが目的ならば、衣装や鏡付きの部屋にこだわる必要があるのだろうか・・・・? 「やはり鏡の前で姿を見たり、足を上げるのにつかまるバーも必要ですから」 園長は音楽教室まで子供たちを連れて行くことにこだわっていた。 やれやれ、L音楽教室だとは、ちょっと困ったな。急に辞めたことで、私たち親子のことを良く思っていないらしいことは、友人から伝わっていたし。園のプログラムとはいえ、今更下の娘を習いには行かせられない。 園に残るという選択もできるのだが、前々からバレエに憧れを抱いていた娘がすんなり納得するとは思えないし、私も行きたいと、泣いてすがるに違いない。 やれやれ、どうしたものか・・・。 ふと、我に返ると、今度は本のサンプルを回覧し始めていた。 回ってきた2~3冊をパラパラめくってみると、なんだか5歳児(日本式には4歳児)には難しそうな内容。それをどうするつもりなのか・・・。 園長が説明を始めた。 「まだ最終決定というわけではありませんが、今年1年分として12冊を購入する予定にしています。12冊1セットで、80ミリオンになります」 ええ!?12冊、80ミリオン!? またまた、耳を疑ってしまった。5歳児に教科書?しかも12冊も? それを各自に買ってもらう、という意味だろうか・・・? 私は上の娘の学校での過去の授業を思い起こした。 毎日、教師考案の工作や、様々な本からコピーしたプリントを使った授業を受け、教科書なんてこの9月から1年生になるまでの2年というもの、一切買わされたことはなかったのだ。 5歳児の教育に合計12冊もの教科書が果たして必要なのか、教師たちの手抜きなのではないか、そんな問いが頭の中に浮かんだ。 しかし、その場ですぐに異議を唱えるには、またしても私の頭の中は混乱をきたしていた。 バレエや教科書の話で私の頭はすでに一杯。他にも言おうと考えていた苦情はどうでもよくなっていた。 落ち着いて自分の考えをトルコ語で整理し、あらためて校長室に足を運んで話を聞いてもらわなければ、と思った。 異議を申し立てなかったら、問題なしと見なしたことと同じ。同意したことと同じ。 自分自身をそう奮いたて、たとえ小うるさい日本人と思われようと、おかしいと思ったことにはきちんと異議を唱える。 まもなく満2年になるトルコ暮らしで否応なく身に付いたこうした態度は、いまや私の生活則にまでなっていた。 (*当時、10ミリオン=約800円) つづく ∬第10話 続々・父兄懇談会 |